2019年インタビュー カオリ・ナラ・ターナー様

ハリウッドのメイクアップアーティストとして活躍。年齢を重ねるたび、その活躍の場をひろげるカオリ・ナラ・ターナーさん。輝かしい経歴の裏には、どんな場面でもひたむきに頑張り続ける人生がありました。

6歳で入門した踊りの道を断念。新たな世界へ。

困難といったら何度もありましたが、ダンサーとして活躍しているときに踊りすぎて膝の靱帯を痛めてしまい、半年ほど、車椅子生活になったときです。ただ歩いている人さえも、うらやましく、もうソロでは踊れず、悩みました。その頃、主人がハリウッドのメーキャップアーティストでしたので、映画のメーキャップアーティストの試験を受けてみないかと誘ってくれました。踊れなくても、映画の世界で輝く人を造り上げるのも同じ芸能界と思い、頭を切り替え、試験を受けて合格しました。一歩一歩、上のクラスをクリアして、スター専門のメーキャップアーティストにもなることができました。その後、主人に先立たれた時も、ただただ一生懸命に働き、克服することが出来ました。70歳にして、メーキャップアーティストとしてエミー賞を頂き、又、ハリウッドのスタジオで着物ショーを紹介したり、ロスのディズニーで日本祭を催したり、その他日本の為に尽くしたとして、日本政府から旭日雙光章をいただきました。


一生、皆様と共に輝き続けたい。

アメリカでは歳をとればとるほど、お化粧したり、着飾ります。日本の皆様は、せっかく女性として生まれたのだから、もっと磨きをかけて、周囲の人を楽しませてあげてください。私もせっかくQVCとご縁ができたのですから、皆さまをステキにするお手伝いが出来て嬉しいです。私も85歳には見えないように、皆さまと一緒に自分磨きに頑張ります。 私は死ぬまで人の役にたつ人でありたい!


カオリ・ナラ・ターナー

6歳より、日本舞踏、花柳 寿恵輔に入門。また、義兄ジョージ堀にタップダンス入門。16歳より中村純二舞踏団に入り、アクロバット、バレエ、ジャズ、各界の先生方に学び20歳よりソロダンサーとなる。24歳の時、浅草新世界でトップスターとなり、テレビ、映画出演、また、振付師として活躍。その後、日本文化使節団としてイスラエル、ドイツ、スイス、イギリスを廻り、香港の公演中、ハリウッドのメーキャップ・アーティスト、ビル・ターナーと知り合い、結婚。その後、ニューヨーク、ラスベガスでの公演中、膝の靭帯を痛め、やむなく踊りを断念。

コーディネーターとしてピンクレディーのラスベガス公演を成功させ、ロスでの1日を引退者ホームにて公演させ、全利益を引退者ホームに寄付。また、ロサンジェルス、ディズニーランドにて1977年から5年「ジャパンフェスティバル」を成功させ、ディズニーより感謝状5回。

1980年ハリウッドメーキャップユニオン正式メンバーとなり、映画「フラッシュダンス」で認められ、その後、「バットマン・リターンズ」など数々の映画に携わり、オスカー賞に輝いた「アメリカン・ビューティー」、「チャーリーズ・エンジェル」などに参加。現在は美容学校や日本での講演、映画の合間にアメリカの学校でも若者の指導にあたっている。